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短編小説:チョコレート色の決意

介護業界

登場人物紹介

  • 佐藤 悠人 (26):介護職員。仕事には真面目だが、給料や将来性に漠然とした不安を抱え、他業種への転職を考え始めている。
  • 森下 美咲 (25):介護職員。悠人の同僚で、彼に密かに好意を寄せている。介護の仕事に誇りを持っている。
  • 吉野 梓 (28):不動産会社の営業。悠人が介護の仕事で知り合った、明るく行動力のある女性。悠人の憧れの存在。
  • 田島 秀子 (88):入居者。生粋の「町のおばあちゃん」。昔ながらの家を守り、町の歴史を知り尽くしている。

1. 揺れるバレンタイン

2月14日、施設は甘いチョコレートの香りに包まれていた。利用者さんたちが手作りのチョコを職員に配る、和やかなムード。悠人もいくつか受け取り、心は穏やかだったが、頭の片隅には常に「このままでいいのか」という問いが渦巻いていた。

特に、最近出会った不動産会社の吉野梓さんの存在が、悠人の心をざわつかせる。キラキラしたスーツ、スマートな言葉遣い、そして何より、自分の仕事で大きな契約をまとめた時の満面の笑み。彼女の放つ輝きに、悠人は自分の介護職という選択が、どこか色褪せて見えていた。

休憩室で、同僚の森下美咲が手作りのチョコレートを差し出した。「悠人さん、これ、少しだけ余ったので。いつもありがとうございます」。美咲の少しはにかんだ笑顔に、悠人は胸の奥で小さな温かさを感じた。美咲もまた、介護の仕事に情熱を傾ける、尊敬できる存在だ。しかし、彼女のひたむきさを見るたびに、「自分はこんなにも純粋に仕事に向き合えているだろうか」と自問してしまう。

2. 紡がれる記憶の糸

その日、悠人は入居者の田島秀子さんの部屋を担当した。秀子さんは昔からこの町で代々続く大きな商家に嫁ぎ、女手一つで店と家を守り続けてきた人だ。

「悠人さん、見ておくれよ。この写真」 秀子さんが差し出したのは、色褪せた一枚の写真。凛とした若い女性が、店の前で職人風の男性と並んで立っている。「これが私と、あの人の結婚前の写真さ。あの人は、うちの店にいつも品物を届けてくれる、近くの染物屋の若旦那だったんだよ」。秀子さんの目尻が、懐かしさで少し潤んでいる。

当時は恋愛結婚がまだ珍しい時代。秀子さんと若旦那も、親戚の反対を押し切って結ばれたという。「この家がね、うちの店の土台だったんだ。どんなに大変な時も、あの人とこの家があったから乗り越えられた。だから、この家を、この店を、守り抜こうって誓ったんだよ」。

秀子さんは語る。戦時中に店が焼けても、二人は力を合わせて再建したこと。高度経済成長期に新しい店が次々とできる中でも、この場所を守り続けたこと。そして、若旦那が病で倒れた後も、一人で店を切り盛りし、子供たちを育て上げたこと。「あの人がね、最後に言ったんだよ。『秀子、この家を守ってくれてありがとう』って。その一言が、私の人生の全部だったねぇ」。

悠人は、その言葉にハッとさせられた。秀子さんの人生は、まさに「守り抜く愛」の物語だ。家を守り、店を守り、家族を守り、そして何より、愛する人との約束を守り抜いた。そこには、梓さんのような派手な輝きはないかもしれない。けれど、悠人の心には、温かく確かな光が灯った。

3. チョコレート色の決意

夜、悠人は一人、施設の屋上にいた。バレンタインの甘い香りがまだ残っている。 吉野梓さんの放つキラキラした光。それは確かに魅力的で、未来への可能性を感じさせてくれる。しかし、田島秀子さんの語った「守り抜く愛」の物語は、悠人の心に深く、重く響いた。

自分は、何を守りたいのだろう。 給料や華やかな生活は、誰かに守ってもらうものではなく、自分で掴み取るものだ。だが、介護の仕事は、誰かの人生を守り、その人が安心して暮らせる「場所」と「時間」を守る仕事だ。それは、秀子さんが家や店を守り抜いたように、地道で、でも確かな「愛」の形ではないだろうか。

悠人は、ポケットから美咲からもらったチョコレートを取り出した。手作りならではの、少し不格好なハート形。そこに込められた温かさが、手のひらにじんわりと伝わってくる。美咲の介護に対する真摯な姿勢、そして、もしかしたら自分に向けられているかもしれない、彼女の優しい眼差し。

「……俺は、守りたいんだ」

この仕事で、この場所で、誰かの日常と笑顔を守りたい。そして、美咲のような、この仕事に誇りを持つ仲間と一緒に、未来を創りたい。

翌朝、悠人はいつもより早く出勤した。 「美咲さん、おはよう。あのさ、今日の休憩中、少し話せるかな?」 美咲は驚いたように目を見開いたが、すぐに「はい!」と満面の笑顔を返した。

バレンタインの甘く、少しほろ苦い香りは、悠人の心に確かな決意の種を蒔いていた。それは、これからどんな困難があっても、きっと彼を支え、未来を切り開く力となるだろう。 彼の心に灯った光は、梓さんのような外部からの輝きではなく、彼自身の内側から湧き上がる、確かな「やりがい」と「愛」の輝きだった。

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