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他人事ではない。「孤独死を防ぐコスト」は誰が払う?:独居高齢者の見守り加算と、後見人の役割

介護業界

こんにちは、「さいたま猫」です。介護認定調査、後見人、宅建士、社会福祉士、行政書士、福祉用具、住環境コーディネーター、リフォーム……。これらの資格と経験を掛け合わせ、日々、介護と生活の最前線で起きている「不都合な真実」を、少しだけ鋭く、そして温かくお伝えしています。

突然ですが、皆さんは「孤独死」という言葉に、どのような感情を抱きますか?「気の毒だ」「自分には関係ない」「家族がいるから大丈夫」。そう思っているあなたに、今日はあえて、少し厳しい現実を突きつけなければなりません。

2026年、日本の介護保険制度は大きな転換点を迎えます。それは、これまで「善意」や「地域の支え合い」に委ねられてきた「独居高齢者の見守り」が、正式に**「コスト」として計算され、介護報酬の「加算」**対象になる、という変化です。

この一見、素晴らしい改善に見える制度が、実は、家族のいない、あるいは家族と疎遠な高齢者が「経済的に選別される」時代の幕開けになるかもしれない。今日は、そのメカニズムと、私たちが向き合うべき普遍的なテーマについて、じっくりと考えてみたいと思います。


「見守り」が「商品」になる日

2026年の介護報酬改定で注目されているのが、居宅介護支援(ケアマネジメント)における「見守り加算」の導入です。これは、一人暮らしの高齢者や、認知症などで自立した生活が困難な高齢者に対し、ケアマネジャーが通常よりも頻繁に訪問したり、ICT(情報通信技術)を活用して状況を確認したりした場合に、介護保険から事業所に支払われる報酬が増える、という仕組みです。

これまでも、ケアマネジャーは独居高齢者の異変に気づくため、ボランティア精神で頻繁に声をかけたり、地域の民生委員と連携したりしてきました。しかし、それはあくまで「業務外の努力」でした。この制度改定は、その「努力」を正当に評価し、持続可能な仕組みにしよう、という狙いがあります。

しかし、ここに大きな罠が潜んでいます。

「加算」がもたらす「経済的選別」の恐怖

事業所にとって、加算は喉から手が出るほど欲しいものです。介護職員の処遇改善、設備の充実、そして事業の安定。しかし、加算を取るためには、それ相応の「手間」と「コスト」がかかります。

ここに、ある独居高齢者、Aさんがいるとします。Aさんは認知症が進み、自宅で一人で暮らすのは限界に近づいています。しかし、本人は「絶対に自宅がいい」と譲りません。ケアマネジャーは、Aさんの安全を守るため、毎日訪問し、福祉用具の状況を確認し、デイサービスやヘルパーとの調整に追われます。

この時、もし「見守り加算」が導入されたら、事業所はどう考えるでしょうか?

「Aさんは手がかかるから、加算を取っても赤字だ。もっと手のかからない、加算だけ取れる利用者を増やそう」

こうした**「経済的な選別」**が、水面下で進む可能性があります。特に、家族のいない、あるいは家族と疎遠な独居高齢者は、何かあった時の責任の所在が曖昧になりがちで、事業所にとっては「リスクの高い」利用者とみなされやすいのです。加算が導入されることで、そのリスクがより明確に「コスト」として可視化され、敬遠される要因になりかねない。これが、私が最も懸念している点です。

後見人は「見守り」のコストをどう考えるか?

ここで、私自身の「後見人」としての経験から、この問題を考えてみたいと思います。

後見人は、認知症などで判断能力が不十分な人の財産を管理し、生活を支える役割を担います。後見人にとって、最も重要な任務の一つが「本人の尊厳を守ること」です。そして、その尊厳の中には、「住み慣れた自宅で暮らし続けること」も含まれます。

では、2026年以降、独居高齢者の見守り加算が導入された時、後見人はどのように動くべきでしょうか?

事業所がAさんの受け入れを敬遠した場合、後見人は、行政書士や社会福祉士の知見を活かし、他の事業所を探したり、行政に相談したりして、Aさんの生活を守るために奔走します。また、加算による自己負担の増加についても、Aさんの財産状況を鑑み、適切なケアプランをケアマネジャーと共に検討します。

しかし、後見人ができることには限界があります。後見人は、あくまで本人の「代理人」であり、社会全体の仕組みを変えることはできません。制度が「経済的選別」を助長する方向に向かえば、後見人もその波に抗うのは困難です。

私たちは「孤独」をいくらで買うのか?

この問題は、単なる介護保険制度の改定ではありません。もっと根源的な、**「私たちは『孤独』というリスクを、いくらのコストで引き受けるのか」**という、普遍的なテーマを私たちに突きつけています。

かつては、家族や地域社会がそのコストを担ってきました。しかし、核家族化が進み、地域コミュニティが希薄になった現代において、そのコストは、介護保険という公的な制度、そして、それを支える私たち一人ひとりの負担へとシフトしています。

2026年の見守り加算は、その「コスト」を可視化し、誰がどのように負担するのかを、より明確にしようとする試みです。しかし、それが、経済的に弱い立場にある人たちを切り捨てることになっては、本末転倒です。

私たちは、制度がどのように変わろうとも、変わらないもの、すなわち**「人の尊厳」**を守るために、声を上げ続けなければなりません。「孤独死を防ぐコスト」を、誰かが一方的に背負うのではなく、社会全体でどのように分かち合うのか。その議論を、今こそ深める時です。

「さいたま猫」は、これからも、現場の声、そして専門家の視点から、この問題を発信し続けます。皆さんの声も、ぜひお聞かせください。

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