
こんにちは、さいたま猫です。
「消費税、下がればいいのになぁ……」 スーパーのレジでため息をつく時、誰もが一度はそう願いますよね。でも、ちょっと待ってください。もし明日、消費税が5%になったとしたら、あなたの「老後の安心」はどうなると思いますか?
今日は、2026年から始まる**「居宅介護報酬の加算」という大きな節目を前に、政治と経済、そして私たちの「命の値段」について、忖度なしの本音で語りたいと思います。資格の話は抜きにして、現場を歩き、多くの家庭の「終末」と「再生」を見てきた一人の人間として、これからの日本で起きる「シーソーゲーム」**の正体を暴きます。
「消費税減税」という甘い蜜に潜む毒
「減税すれば景気が良くなる」という理屈は、一見正論に聞こえます。しかし、日本の社会保障、特に介護保険制度は、今や消費税という巨大な蛇口から流れる水で首の皮一枚つながっている状態です。
経済のシーソーをイメージしてください。 一方の座席には**「消費税減税(目先の生活の楽さ)」が座り、もう一方には「介護・福祉サービスの質(老後の安心)」**が座っています。
もし減税という名の重りを外せば、反対側の介護サービスは一気に地面に叩きつけられます。財源が削られれば、真っ先に切られるのは「現場のマンパワー」です。介護職員の給与が下がり、事業所が潰れれば、私たちが高い保険料を払っていても「サービスを受けたくても受けられない」という、地獄のような**「介護難民」**の時代がやってきます。
減税で浮いた数千円のために、将来、数万円、数十万円の「民間介護サービス」を自腹で買わなければならなくなる。これが、私たちが直面しているシーソーゲームの残酷な真実です。
2026年、居宅介護に忍び寄る「加算」の正体
そして今、自民党政治が進めているのが、2026年から本格化する**「居宅介護報酬の加算」**です。
「加算」と聞くと、なんだかサービスが手厚くなるような、良い響きに聞こえますよね? でも、現場の視点で見れば、これは実質的な**「ステルス増税」**です。
これまでは「ケアマネジャーが相談に乗る」こと自体は標準的なサービスでしたが、これからは「ICT(タブレットなど)を導入した」「24時間対応体制を整えた」「特定の研修を受けた」といった条件をクリアした事業所に、国がボーナス(加算)を支払います。
一見、業界のデジタル化や質向上に見えますが、そのボーナスの一部を支払うのは、他ならぬ**「利用者であるあなた」**です。
1回数十円、数百円の積み重ね。でも、チリも積もれば山となります。税率は変わらなくても、窓口で支払う額は確実に増えていく。これが政治が仕掛けた「自助」への誘導です。「国は最低限しか出しません。手厚いサービスが欲しければ、自分でお金を出しなさい」というメッセージが、この加算には込められているのです。
「自民党政治」が突きつける「自助」という名の選別
自民党政権が一貫して掲げる「自助・共助・公助」。 この順番には明確な意図があります。まずは自分で何とかしろ、次に隣近所で助け合え、それでもダメなら最後だけ国が助ける。
2026年の制度改正は、この「自助」の比重をこれまでになく高めます。 お金がある人は加算を払って高い質の介護を買い、お金がない人は最低限の、あるいはボランティア頼みの介護で我慢する。そんな**「介護の格差社会」**がすぐそこまで来ています。
では、私たちはどう立ち向かうべきか? それは、単に政治を批判することではありません。この「仕組み」を理解し、自分の資産(不動産や預貯金、そして家族との関係性)をどう守り、どう配分するかという**「生活防衛」**の知識を持つことです。
変わらない普遍的なテーマ:私たちは「尊厳」をいくらで守るか
いつの時代も、どんな制度の下でも変わらない問いがあります。 それは、**「人は、人生の最後に自分の尊厳をどう守るか」**ということです。
制度が複雑になり、自己負担が増え、政治が私たちを突き放そうとしても、私たちが人間らしくありたいと願う心は変わりません。お金で買えるサービスは確かに便利ですが、最後の一線を守るのは、結局のところ、本人の意思と、それを支える周囲の知恵です。
2026年という「変革の年」を、ただ恐れるのではなく、自分らしい生き方を再定義するきっかけにしませんか。加算というコストを払ってでも守りたいものは何か。減税の甘い言葉の裏にある「未来の請求書」をどう受け止めるか。
さいたま猫は、これからも皆さんと共に、この荒波を乗り越えるための「リアルな知恵」を共有していきたいと思います。

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